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5年前の 8月、いつもと何も変わらない夏休みの一日。 愛犬のジェニーが「ママ、ご飯にしよう!」と飛びついてくる朝の挨拶から始まった。
彼女を受け止めた時、自分のお腹に触れたわたしの手は「いつもと違う何か」を感じるのです。左下腹部がぽこんと飛び出ていたことに気が付きました。 ガスが溜まったのかなぁと考え、近所の内科医を訪ねました。
問診後、腹部エコーで診察が始まり、わたしは予想もしない言葉を耳にしたのです。
「卵巣が腫れている。 専門医の診察を受けてください。」
えっ、卵巣が腫れているってなに? 生理も順調だし、何がおかしいのだろう?
元気に仕事をしているし・・・深く考えずに、翌日、わたしは極めて楽観的に紹介された病院へ行きました。
婦人科専門医の診断は卵巣嚢腫。
こぶし大程の大きさゆえ、開腹手術での摘出をしなければならないとのこと。 わたしは 10月に入院手術と言い渡され、その日は血液検査などを済ませて家に帰りました。
初めての入院、ドキドキだな。
「悪性」という文字は浮かぶはずもなく、「 2 週間程度で退院だし、いい休養になると考えよう」と眠りについたのでした。
それから、手術に向けての諸々の検査が始まりました。
腫瘍マーカーが標準値よりも高い数値を示していること、MRIの画像で「悪性」の可能性があるかもしれないことが判明してきましたが、主治医は何も「悪性」ということには触れず、手術前日の面談の際、「もし、悪性だったら卵巣、子宮の摘出をしますか?」といきなりきりだした。
子供がいない 40代だから、「あきらめている」と判断したのかしら?
考えろと言われても、あまりにも時間が少なすぎる。
簡単なことではないはず・・・乱暴だなと思いましたが、「悪かったら、全部とってください」と即答してしまったのです。 理由はわかりません。
「悪性」かもと心のどこかで感じ取っていたのかもしれない・・・。
手術後、麻酔から覚醒し、付き添っていた主治医に「先生、とったの?」と尋ねた。
ドクターは頷いた。 「あぁ、やられちゃった・・・いたんだなぁ、がん細胞が」
病室に戻るストレッチャーの上で、わたしは静かなる宣戦布告をしていたのです。
手術から二週間後、主治医との面談。
「転移もなく手術は 100 %成功」だと聞かされてひと安心。 さぁ、退院と浮き足立つわたしに「抗がん剤治療」という魔球が投げられた。
手術は 100 %成功だし、転移もなく、悪いものは全部摘出したと言ったじゃない!
転移の可能性を避けるため、正常な卵巣と子宮まで取ったじゃない!
抗がん剤治療をする理由をたずねても説明はなく、「決めるのは本人」とのこと。
頭に血が昇り、「じゃあ、わたしはいつ死ぬの? それだけでも答えてください」と言ったことは覚えている。 もちろん、答えはない。
苛立つとにかく苛立つ。 何に怒っているのかはわからない。
談話室のイスを片端から蹴飛ばす自分が悲しかった。 卵巣も子宮も摘出し、そのうえ、抗がん剤治療もしなければならないの・・・なぜ?
わたしは悪いことを何もしていない。
神様も仏様も、本当にいないのだな。
だから、何も悪いことをしていないわたしをこんなひどい目にあわせるんだ。
知っている限りの罵詈雑言。 その後は涙、涙。
なぜ、気が付かなかったのだろう。 悲しくて、悲しくて、見放されたと思って。
抗がん剤治療は副作用がひどく怖いものだという概念があり、避けたいと強く願った。
とにかく、怖くて不安で仕方がない。
手に入れられる限りの情報を集め、様々な資料を見ていた時、瀬田クリニックの免役細胞療法のページでわたしの手が止まった。
もしかしたら・・・抗がん剤治療を免れるかも−期待を胸に新横浜メディカルクリニックを訪ねました。
優しくわたしを迎えてくれたのは、産婦人科専門医の金子院長。
彼は、わたしの話を遮ることなく丁寧に聴いてくれ、とても尊重した態度で接してくれます。
がんの告知を受けてカチカチになった心が解けてくる。
きっと、きっと、先生は抗がん剤を受けなくていいと言ってくれると思うわたし。
しかし、わたしの淡い期待は敢え無く打ち砕かれました。
抗がん剤治療との併用をオファーされたのです。
金子先生は、わたしのガン細胞がいかに悪質であるのかを丁寧にわかりやすく説明をしたうえで、手術後の今がガンを治療するのに最もよいタイミングだと話してくださいました。
ふと時計を見ると、2時間が経過している。
この面談で、わたしは初めて自分は病気がいやで、以前のように元気になりたい、病気を治したいと思っていることに気が付いた。
髪の毛が抜ける療法がいやなのではなく、病気がいやなのだとわかったのです。 相手が悪質ならば、こちらも最強の武器で闘おう。 自分が作ったイレギュラーな細胞なら、自身の大元である自分の細胞で退治するのは理に叶っていると納得し、両手に銃ならぬ、異なる治療法を携え、わたしは勝負に挑みます。
ほどなく、抗がん剤治療が開始され、脱毛が始まりました。 枕にびっしり貼り付く髪の毛。 そして、頭をふればぱらぱら落ちてくる。 プラスチックの糸のよう。
ぱらぱら、ぱらぱら、音を立てて落ちてくる。 でも、泣かなかった。
散らばる髪の毛の処理に手一杯で泣けなかったのです。 わずかに残る髪がいやで、自ら頭を剃り、抗がん剤治療1クールを闘い抜く決心を強くしたのでした。
ご存知のとおり、抗がん剤治療の副作用は、脱毛のほか、吐き気や食欲不振、そして白血球の減少などがあります。
白血球が減少すれば、抵抗力が落ち、ウィルスなどに感染しやすい状態になるわけです。
抗がん剤治療の翌朝、朝食をほおばるわたしを見て、看護師さんや入院仲間が驚くのです。
吐き気もないし、食欲も落ちない。 以前と何も変わらない。
白血球数も正常値内を保っているので、外出も外泊もできる。
ウィッグをつけ、どんどん出かけ、「今」を楽しむことができたのです。
食事もとれるので体力は落ちないし、白血球数も減らないということは、とてもよい結果をもたらしました。
抗がん剤がパンクチャルに四週間ごとに投与でき、免役細胞療法との組み合わせもずれることなく、半年間を過ごせました。
余談ですが、免役細胞療法のうれしい副作用がありました。
花粉症が治り、風邪をひかなくなったのです。 晩秋から春にかけての入院期間中も、いちども風邪をひくことなく過ごせました。
同じ病気のみなさん、どうぞ、ご自分を責めないでくださいね。病気だから我慢しなくてはいけない、弱音を吐くご自分を否定なさらないでください。
いつもご自分の気持ちには素直になって、ご自分の気持ちを受け止めてください。
いやだと声をあげてもいいし、泣いてもいいのです。 周囲に心配をかけたくないから・・・そう思ってご自分の感情を閉じ込めてしまう方も多いと思います。第三者のカウンセリングなどを受け、ご自分の感情をアウトプットなさって、病気に立ち向かっている自分を認めてさしあげるのもよいと思います。
わたし達の人生は治療の為の人生ではないのです。 人生を楽しむために治療が必要なだけなのです。 がんに勝たなくてもいい、負けなければいい−わたしはそう思っています。
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